会社失敗からの債務整理は弁護士先生に相談したけど復活はできたのか

まず結論。失敗を避けるためには

 

時代の変化にどう対応していくか。このあたりの柔軟な思考と行動が必要。そう、幕末の坂本龍馬のごとく、今日会ったら拳銃持ってた。明日会ったら本に変わってた。自分の基本能力は変わってなくても思考と行動は変えていく。まわりの意見の取捨選択。時代を読んでくのが難しいなら即対応していくのが正解。

 

まだ大丈夫って思いはじめたら「ちょっと休んだら」っていう危険信号です。

 

これまでのこと。18才からの失敗の歴史。

 

昭和59年あたり(当時18才)からのこと。バブルの後期。少し前ならバブルの絶頂期。そろそろバブルのはじけるちょい前のところから。

 

喫茶店+楽器、22才営業~販売員あかん、35才ホムペ作成で失敗…債務整理。38才工場勤務→42才ホテル清掃の仕事で返済、不安障害なる。薬飲みつつ清掃会社点々し治る。ブログとライター始めるも適応障害+社交不安障害再発で55才自己破産手続き中+生活保護中なの。

 

今回に記事では太字のところを深掘りしていきます。

ひとつ前の記事、インターネット黎明期から個人で始めたホームページ作成からの失敗劇からの続きです。

 

失敗から債務整理へ。工場勤務→ホテル清掃の仕事で返済開始

 

さっさと自己破産しとけばよかった。債務整理を選んだのは私自身のプライドのせい。再生がガッツリ遅くなった。

 

失敗の借金は債務整理を弁護士にお願いした。

 

私自身の失われた10年がはじまった。のちに失われた20年へと継続してしまうことになろうとは、まったく考えてもいなかった。考えあまいよ私。って戻って言いたい。

 

38才~【失敗…債務整理。工場勤務→ホテル清掃の仕事で返済開始、不安障害なる】失敗の借金は債務整理を弁護士にお願いした。返済開始の最初、工場は地方で約3年缶詰なった。昔の派遣会社の知り合いからホテル清掃に転向することに。返済終わったころに不安障害になって退職。無理はしない方がいいよ

 




 

債務整理は弁護士先生に相談した

 

ここは、ありのままのことばで書きますね。会社にしていてもひとりでやっていると、返せないほどの負債(借金)が残っていると、債務整理か自己破産しか道はありません

 

そんな状態からのV字回復なんてことも聞きますが、その時のアイデアがうまく実現できたから。このケースは実はごくごくまれなケース。

 

債務整理か自己破産か

 

弁護士先生に相談した時に、債務整理か自己破産か、どちらにするかを最初に聞かれました。そうです、判断して決めるのは当然ながら自分自身です。

 

債務整理も良いのだけれど、精神的にちょっと無理かもしれないと感じたら、自己破産を選んだ方がいいです。

 

しばらくのあいだ、いろいろな縛りやできないことが発生しますが、人生のやり直し、仕切り直しには自己破産のほうが復帰は早いです。それからお返ししていけば良いだけのこと。これには賛否両論があるのは知っていますが、ここはあえて、精神的に負担が無く復帰も早いので自己破産を選んだ方が良いです

 

工場勤務で返済開始はしたものの

 

手持ちのお金でどこまでいけるか。ここの計算はザックリしてから弁護士先生に相談した。返済のための就職活動の時間や、準備期間のときにもお金は必要だから。ここだけは早めに決めてよかったところ。

 

返済開始の最初、工場は地方で約3年缶詰なった。これは正直とってもきつかった。

 

工場での仕事は、ちょうど工場での派遣が認められてきたころのこと。受注に応じて雇ってくれたり解雇されたり。それも10人とかの話しじゃありません。来月から100人いける?来月から50人切れる?そんな感じでした。みんな戦々恐々。

 

もちろん派遣会社での登録は無くならないのですが、工場が集まってるところって、いろいろな職種があるので、かんたんに移動は難しい。仕事内容もまったく変わってしまいますからね。そんなこともあって、必死に仕事をおぼえましたし、リーダーと相談して休日出勤もガンガンさせてもらいました。

 

それでも給料のほとんどは返済へ。その月の返済をしたら、寮生活だったので寮費と最低限の米や食材を確保したら、ほとんどお金は残りませんでした。それに工場勤務の落とし穴が。それは、夏季休暇や年末年始で工場が止まる時期があったこと。ここは正直いちばんきつかった時期。最初にある程度のお金を弁護士先生に依頼料のほかに預けておいてよかった。

 

あまり体は強くないし体力もない。当時は夜勤もあったし休日出勤をガッツリしていたので、夜勤明けからのそのまま昼勤ってこともお願いしてやっていたり。これって実は違法なんですがね。すべては返済のため。

 




 

返済のつづきはホテル清掃の仕事。そこで実感したこと

 

当時、派遣会社の取れる仕事の分野が広がったおかげで、独立時に少し関わっていた会社が派遣業務をすることになった。そこで久しぶりに連絡が。ホテルの清掃業務に進出を考えていたらしい。工場よりも体力的に不安がないかなって判断し、雇ってもらう事に。

 

42才~【ホテル清掃の仕事で返済、不安障害なる。薬飲みつつ清掃会社点々し治る】

 

清掃業務の仕事をわかってなかった。正直なところ舐めてました。この仕事で返済を終えたのですが、バーンアウトで一気に病んじゃいました。会社のおかげで福祉制度を使って療養することになったのは、ありがたかったし今でも感謝はしてる。

 

しかし。

 

心が病んじゃうってことって、どんなことになるのか。私自身まったく良くわかってなかった

 

まだ大丈夫って思いはじめたら「ちょっと休んだら」っていう危険信号です。

 

その後、薬を飲みながらなんとか働けそうになったので、復職することに。元に戻れるって思ってましたから。当然ながら復職は精神疾患が完治していない状態なので、元の待遇には戻れない現実。それから清掃会社を転々とすることに。

 

7年ほどかかって、ようやく自分に合った現場が見つかり回復。その当時の会社の方々にも感謝してるし、忘れることはないとおもいます。みなさん当時はありがとうございました。でもね、ここでもまだカン違いしてた。元気だった頃みたいにもどれると思ってたから。

 

いちど精神疾患を患うと、決してもとには戻れなかった。

 

次回は、まだまだ精神疾患を甘く考えていた私自身の続きを書いてみますね。

 

感想と後記 失ったもの

 

債務整理と自己破産の違いも良く分かっていなかった。債務整理での返済のつらさや精神疾患の怖さも良くわかっていなかった。その結果、失ったものは健康と信用と時間。ふつうに健康な状態な時って、時間の大切さってなかなか気がつかない。どちらかというと時間よりお金。今ではここも、ずいぶん当時と考え方はかわってきていますがね。失った時間はとっても大きかった。結果論でしかないのですがね。

 

あわせて読みたい

 

▼18才からこれまでの失敗談のまとめ記事です▼

失敗だらけの人生から復活するには失敗談を知っとくといい。私の場合

 

喫茶店+楽器、22才営業~販売員あかん、35才ホムペ作成で失敗…債務整理。38才工場勤務→42才ホテル清掃の仕事で返済、不安障害なる。薬飲みつつ清掃会社点々し治る。ブログとライター始めるも適応障害+社交不安障害再発で55才自己破産手続き中+生活保護中なの。

 

それぞれの時期の記事部分に、それぞれの深掘り記事へのリンクを載せています。よろしかったら参考にしてみてくださいね。

 



タイトルとURLをコピーしました