営業と販売の仕事でボコボコにされてからの脱出劇を残しておきますね

営業の仕事をしようと思ったのは、楽器で営業しようと考えたから。

 

状況がかわったので楽器はやめた。というよりも、私自身の考え方が変わったから。いま冷静に思い返してみるとそっちが正解のような気がしています。

 

現在までの失敗はこんな感じです。

 

喫茶店+楽器、22才営業~販売員あかん、35才ホムペ作成で失敗…債務整理。38才工場勤務→42才ホテル清掃の仕事で返済、不安障害なる。薬飲みつつ清掃会社点々し治る。ブログとライター始めるも適応障害+社交不安障害再発で55才自己破産手続き中+生活保護中なの。

 

この記事では、太字の部分に絞って失敗経験を書いてみました。参考にしてサクッと避けちゃってくださいね。

 

▼この記事では、こんなところを書いています。▼

 

最初からまったくダメダメだったけどきっと役に立つからと無理して身につけれるとこまでがんばった。間違いなく他人とくらべると成績はダメダメだったけど、とりまふつうに会話はできるようになった。でもそこまで。ちょうどネット黎明期になったころホームページ作成とかへ。

 

学んだ事は

苦手なことや、知らない儲け話にはぜったい乗っちゃダメ

 

22才からはじめた営業の仕事

 

私の22才のころは、昭和の終りころ。営業の仕事をしているときに平成になった。バブル世代だと一緒くたにされていますが、恩恵を受けたのはもう少し年上のかたたち。就職活動はしてみたけれど、採用されていくのは大卒の人ばかり。

 

当時はまだ、ケータイもネットも無かった時代。手書きの履歴書とお手紙添えていっぱい郵便で送ったり、家の電話から電話してみたり。歩き回って飛び込んでお願いしてみたりしてました。

 

もうお金なくなっちゃうよ。そんなときに仕事がやっと見つかった。

 

最初からまったくダメダメだった

 

変な会社にちょっとだけ勤めたこともありました。今でいうベンチャーっぽい会社とか、給料を払ってくれない会社とか。そんな会社からは、そっこー逃げましたけどね。

 

ようやく、ちゃんとした感じの会社から内定らしきものをいただきましたが、最終的に決めたのは、がっつりテレアポと飛び込み営業の会社。決めたときには、そんな会社って知らなかったんですがね。

 

入社してすぐに半年の研修とお勉強やロールプレイング。その後の配属。そこまでは良かった。それからが地獄の日々。合ってない仕事とはこんな感じなのね。どんどんアポイントを取って成績をあげていく同期たち。

 

私はというと、まったくアポイントの取れない毎日。怒られっぱな毎日。先輩のしゃべってることを真似しだしてから、ようやくアポイントは取れるようになれた。

 

それでも成績にはつながらない。ゼロ更新の新記録を達成したのは、まごうことない私です。

 




 

きっと役に立つからと無理してがんばったけど

 

営業ってどんな仕事にも使えるスキルだと本気で思ってた。がから、身につけれるとこまでがんばった。間違いなく他人とくらべると成績はダメダメだったけど、ふつうに会話はできるようになった私。でもそこまで。

 

後輩が入社してきて教えたら、どんどん抜かされてしまう始末。当然だけど給料もなかなかあがらない。当時はまだ年次昇給制度が残っていたので、額面年齢万円って感じ。ボーナスもあるにはあったけど、営業部隊は成績重視なので雀の涙。

 

ちょうどその時に転勤の辞令で東京へ。東京で仕事をしたのは半年ほど。関東のほうがにいけんちゃんは合ってるかもって配慮らしい。たしかにアポイントはどんどん取れた。それでも成績はなかなかあがらない。このへんが限界かもって思い、思い切って逃げ出した。

 

地元に帰るのは嫌だった。関東はなんだか入り組んでて好きだったけど、やっぱり関西で仕事をしてみたい。そんなときに紹介されて雇ってくれた神戸の老舗。そこにお世話になることに。

 

販売の仕事でも

 

昔ながらの老舗なので、住み込みなのもありがたかった。仕事の内容は店頭販売。ここでもぜんぜんダメだった。身なりを合わせ、商品の勉強や商売とことも教わったけど、なかなか売れない。女性相手の商売で、緊張しまくって支離滅裂。何回も何回も、もうダメやめようと相談した。

 

先輩の協力もあって、ようやくそれなりに売れるようになったかなって時に、まさかの阪神大震災。こんな私でも、そんな状況でも、給料は出してくれたし、居ていいよって言ってくれたことは今でも忘れていないし一生忘れないと思う。

 

少しずつ普通に戻ってきたお店だけれど、私をとりまく状況自体は悪化してきて、このままでいいのか私?って思うようになってきた。恩返しのつもりで、言われたことはぜんぶやった。やっとなんとか役に立つようになったかな。

 

そう思えたときにインターネット黎明期が来た。

 

インターネット黎明期になって考えた

 

もともと新しいことには興味はあった。できないことばかりだったけどね。そんな時にやってきたインターネットとケータイ。雑誌の特集でも取り上げられ、家電量販店にはパソコンがいっぱい並んできた。

 

いまはもうあまりないボーナス制度。この制度がまだあった会社だったので、ボーナスを使って当時最新のパソコンを一式そろえた。

 

当時のパソコンのスペック聞いたら間違いなく笑うよ。パソコンは、すぐにクラッシュして動かなくなる。HDDは3G、メモリーは128MB。CPUはとりまインテル。通信は電話回線、これはISDNからADSLそしてケーブルテレビのCATVへ。それでも当時は、今の格安スマホにもかなわない。ちなみにプリンターは20枚~30枚プリントすると朝までかかった。

 

雑誌の特集もいっぱいあった。目にとまったのはホームページ作成やインターネットの将来性のこと。Yahoo!が登場したころの話し。これってみんな一斉スタートなんじぁね?と考え、ホームページの作成方法とかドメイン、サーバーのこともおぼえていった。CGIなんかもおぼえた。

 

2ちゃんねるが登場し、Googleってなに?Amazonって本屋さんができたらしい。楽天市場ってなにするとこなの?どんどん新しいことが出てきて興奮した。仕事をしながらパソコンに向かう日々。気がついたら朝だったことって何日あったかわからないほど夢中になった。

 

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